悲しみとの向き合い方

covalog

2023年のまとめを書こうとして開いたけど「人が読みたいもの」って何だろうってふと考えていたら、こんなところに行きついたコヴァです。

 

最初は「2023年10大ニュース」の予定でした。

まぁ、この世の72%くらいの人がするであろう「2023年ふりかえり」「2023年10大ニュース」「2023年総括」とかがSNSにあふれる時期。

例にもれず、備忘録代わりに(という言い訳をトッピングして)書こうと思って開いたWordPress。

『つーか誰に需要あるんよ』

ボソッとでた声が、本音でした。

 

イキってブログ再開したものの、思った以上に昔の間隔は取り戻せないわ、ネタも浮かばんわ、で散々。

そんな中で自分が面白いとも思えないものを垂れ流すことに何の意味があるのだろうか?とはじまる自問自答のループ。

そんな中で、今年はある体験がとても多い年でした。

本当にいろんな体験をしたので、何かの役に立つかもしれないと思い、共有しようと思います。

 

EP1.2023年下半期の行動力をくれたSさん

5月末に一通のメッセージが来ました。

「Sさんが亡くなったらしい」

普段そんなに密に連絡を取ることのない人から、飛び込んだ訃報。

もともと難病を患われていたので、病状が悪化したのか・・・と最初に思った。

しかも、亡くなったのは海外一人旅の途中で。

 

会えないまま旅立ったSさん

関係的には、亡くなられたSさん、訃報を伝えてくれたOさん、コヴァ、は共通の知人。

もともとオンラインのコミュニティで同じチームに属していたことから知り合いになった。

でも、旦那さんは知らなかったので、Oさん自身も死因や状況を深く聞けなかったと伺いました。

Sさんはとても行動的で、いろんなオフ会に参加したり、人にあったりと活発な方でしたが、いつもタイミングが合わずに、コヴァは結局リアルでお会いすることが叶いませんでした。

Oさんは、たまたま近所に住んでおられたのもあり、コヴァのお店にも来てくださったり、リアルでも交流のある方でした。

Sさんは車で2時間ちょっとの、数カ月に一度は遊びに行くところに住んでいました。

コヴァが行くときは、別のところを旅していたり、コヴァの地元に来るときは、僕が出かけたり、時間がなかったりと「いつもかみ合わないね(笑)」とかメッセージのやり取りをしていました。

 

結局、オンラインでの交流はあったものの、一度もお会いすることなく旅立ってしまいました。

 

時代によって変わる向き合い方

亡くなられたのは4月。コヴァがその話を聞いたのは5月末。

Oさんも、たまたま仕事の話でSさんにメッセージを送ったところ、旦那さんからその事実を告げられて知ったようでした。

Oさんも行動力のある方なので、すぐに僕に連絡をくれました。

「コヴァちゃん、Sさんを偲ぶ会をしたいから、裏方の段取りしてほしい」

 

オンラインのコミュニティに属していた僕たちは「ライブ配信」という、テレビで言う「中継」や「生放送」みたいな番組を、コミュニティ内で多数行っていました。

コヴァは突出してその回数が多く、出演者、企画、裏方、とマルチに活動していたので、偲ぶ会の演出をしてほしいとの申し出でした。

「もともとオンラインで知り合ったメンバーだし、オンラインで何かできないかな」と言われて、悲しい気持ちを感じつつも、構成や演出を考えることで、どこか冷静になれる自分もいました。

国内外にいるメンバーを集めるのは苦難の技で、そもそもオンラインがなければつながらなかった関係なのもあり、オンラインで偲ぶ会をするというのもありなんだと感じました。

 

「偲ぶ会」までの期間はたった2週間

とはいえ開催まで2週間。今から素材集めして、音楽選んで、構成考えて…

正直、思い出しながらこれを書いていても、どこか不思議な気持ちです。

『会ったこともないけど、よく知っている人』の『偲ぶ会の構成を考えている』自分。

 

点と点がつながりそうで、微妙に隙間がある。でも、離れているわけではない、みたいな感覚。

正直、悲しいのに悲しくないというか、なんか言葉では表せないとても不思議な感覚です。

だってお会いしたこともない=本当いた証明がない、という感覚にすらなりました。

でも、ZOOMで話したりはしてたし、多分本当にいる(いてた)んだろうけど、なんか立体ホログラフィのような感じがずっと僕を包んでいました。

 

オンラインのコミュニティには、国内外にもメンバーがいます。

生きていれば、いつかこういうお別れが来る日もあるんだろう、とも思ってはいました。

ただ、こんなに早く、そして身近に感じられる人が最初だという思いと、その人とは(リアルに)会ったことはない、という感覚が自分の中でいまだ消化しきれていませんでしたが。

 

久しぶりにつながる人たち

コミュニティの中にあった4つのチーム。

Sさん、Oさん、はもちろん他にもたくさん個性的な人が中にいて、夜通し討論したり、くだらない話をしたりしたメンバー。

コミュニティは家族、学校、仕事、ではない場所なので、出入りが自由です。

Sさんが亡くなった時点で、当時活発にやり取りをしていた人たちの半分くらいはコミュニティを抜けておられました。

SNSではつながっている人もいるので、近況を知っていたりする人もいますが、全員がそうではありませんでした。

 

Sさんを偲ぶ会で、久しぶりにそのメンバーと話す機会が生まれました。

会終了後、かつてのメンバーがそれぞれにSさんの思い出や、こんなことあったね、なんて話をしていました。

当時は緊張して話せなかった人たちも、Sさんを通じて話すことができました。

2年ぶりくらいに話す人もいましたが、共通の友人、話題があると、時間はすぐに当時に戻れるんだなぁ、と思いました。

 

思いを行動に変える

Sさんの訃報を聞いたとき、たまたま僕はその前日にコミュニティを抜けていました。

並行して3月から参加していた新しいコミュニティのほうが、自分の生活にとって有意義で価値があると判断したためです。

偲ぶ会も無事終了し、僕は1つの思いを行動に変える決心をします。

「会いたい人には、ちゃんと会おう」

遠いから。時間がないから。どう思ってるかわからないから。

割と行動派だと言われていた僕ですら、行かない理由を自分で作っていただけでした。

新しく参加したコミュニティのイベントが7月に千葉県であり、コヴァは行く予定はありませんでした。

でも、Sさんの一件もあって決まっていた夏休みを変更して、急遽参加することに。

ついでに、東京でかつての仲間や、行きたかった仲間のお店なども回るぞ、と決めました。

 

EP2.続く悲しみの連鎖

Sさんの一件で千葉県のイベントに参加することを決め、その後も「毎月誰かに会いに行く」を公言して動き始めます。

7月は千葉・東京、8月は地元、9月は長崎・福岡、10月は広島、11月は名古屋、12月は忘年会シーズンなのであえて予定は入れず。

これを行動に移していくんですが、その裏で旧コミュニティでとても認知のあった方の訃報を聞きます。

1、2回話したくらいの記憶しかありませんが、Sさんの件からそこまで時間もたっていないタイミングの訃報に胸を痛めました。

そして、その翌週には同じ旧コミュニティの20代の方の訃報を聞くことに・・・

その方はお名前を存じているくらいではありましたが、さすがに3人続くと心を締め付けるものの重さが尋常ではなくなりました。

Sさんほどの関係性がなかったのもあり、何も手につかないというほどではありませんでしたが、やはり『会いたいときに会う』ことの必要性をさらに強く感じました。

 

「会えたこと」と「会えなかったこと」の差はとてつもなく大きく、たとえ1時間や30分、コーヒー1杯くらいの時間だっていい。

『その人に会った』というのはとてもとても大事なことなんだと思います。

そして、その数か月後にその言葉が現実になってしまいます。

 

EP.3どこまでも続く悲しみの連鎖

少し脱線しますが、今年は芸能人の方の訃報もたくさん聞く年でした。

個人的に、BUCK-TICKの櫻井さん、X JAPANのHEATHさんが衝撃で、ずっとずっと聞いてた人間からすると、やはり人間はみな年を重ねていつか逝くんだ、というのを感じます。

20代や30代では感じなかった「物事の深み」が40代ですこし見えるようになり、それと同時にどうにもできないものと邂逅も増えた気がします。

 

 

ちょうど1カ月ほど前、とあるお客様のカットを行いました。

以前はご来店いただいていたその方は、コロナ禍で外出が減り、遠方までの移動が困難になったために自宅までカットをしに行ってるお客様でした。

12月の予約もいただいており、年内最後にきれいにさせてもらえると思っていた矢先に、電話が鳴ります。

10月に肺炎で入院されてたこともあり、また体調不良かなと思って電話に出ると、カットをしたちょうど1週間後に亡くなられたという話でした。

その翌日、かつての仲間からまた別の訃報を聞くことになります。

Yさんが亡くなった、と。

 

理解が困難になる状況

普段から精力的に活動されていて、同い年なのにどこか余裕と貫禄があって、でもそれを鼻にかけない人。

何人目だから、とかじゃなくって。

絶対にそんなことはないと思ってたことが起きたとき、理解が困難になる。

何度も瞬きをしてもメッセージの文字は変わらないのに。

自分の見間違いだと思いたい。

そこに書かれた内容と、Yさんがつながらない。

旧のコミュニティだとはいえ、つながってる人は多く、なにかと連絡を取る人も多いからこそ、うれしいことも悲しいこともタイムリーに知ることができる。

 

悲しみの中にある希望

EP.2の最後で語った言葉が現実になってしまう。

Yさんの訃報を教えてくれたTくんも同じ旧コミュニティの人。

3人とも新コミュニティにもいてて、昔ほど話すわけじゃないけどSNSで近況は常に追ってて。

Yさんは同い年なのに、年上のようでもあり、年下のようでもある変な感じ。

ただただかっこいいなぁ、と思ってる割とキラキラしててちょっと自分には遠い存在。

7月に千葉に行くことになった時、絶対その店でコーヒー飲むって決めた。

そんなタイミングじゃないと行けないから。

 

その半年以上前に、Yさんが好きな木彫りの熊のガチャガチャを見つけて、出るまで回してて。

「いつかこれをきっかけにして話したいなぁ」なんて思っていました。

正直、前々日くらいまで行くって連絡できず。

Tくんには行くって伝えていましたが。

昔から自己否定が強くて、自分に会う時間を割いてもらうなんて価値がないと思い込みがちなので、Yさんにはなかなか言い出せず。

でも、連絡したら気さくに「着いたら教えてくださいねー」って。

 

 

ホントにコーヒー1杯。

30分も話したかなぁ。

話した内容もたいして覚えてない。

ホントたわいもないことしか話してないけど。

でも、会えた。ちゃんと会えた。

 

会えなかったSさんが教えてくれた、会うことの大切さはきちんと実践できた。

そして、数か月後にYさんの訃報を聞き、その大切さはさらに大切になった。

 

そういやハイコーキのインパクトドリルの話とかしたな。

1回会えたし、次は気楽に会えるだろうと思ってたけど。

 

やった後悔と、やらなかった後悔

12月8日、Yさんと会える最後のチャンス。

その週の月曜は仕事があって、という言い訳。

12月8日当日、予約は1件。別日に変更してくれるタイプのお客様だったけど。

人生最悪の日、12月8日。

20数年自分を縛った過去のトラウマが後ろ髪を引く。

動けなかった。

行きたかったけど、怖くて。

たまたま関西から会いに行かれる人がいて、一緒に行けたのに。

やらなかった後悔。

 

悔しいけど、戻せない。

これはこれで、Yさんが「次はちゃんとやれよー」ってことなのかもしれない。

 

ざっくりまとめ

・会いたい人には会いましょう。
(その人がどう思ってようが関係ないです。会いたければ会いに行けばいい)

・悲しみ方、送り方、偲び方、いろんな形があっていい。
(人は2度死ぬといいます。肉体的な死と記憶としての死。肉体はなくなっても思い出すことができる限りあなたの中で生き続けます)

・後悔は次に後悔しないためのトリガー
(後悔を悔やんでいる時間はありません。それを教訓として次に活かしましょう)

 

今年も残り2週間と少し。

悔いを残さずに今年を終えたいものです。

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