コヴァ、つくるのが好き。

covalog

九州2日目は、きちんと思った時間に起きられました。おはようございます。
人間、何事も慢心してしまうことでミスが生まれるということを再確認。
「できないかもしれない」と思いながら一生懸命な時は、思ったほどミスをしないものです。
そんなコヴァの好きをお届けするcovalog、今日もお届けします。

「つくる」ことが大好きです。

はい、抽象的なやつが来ました。

ピンポイント好きを超えて、すこし広く僕自身のことを知ってもらうためのこともしようと思った次第です。

あえて「つくる」とひらがなにしたのは、いろんな「つくる」があるからです。

淡々と削る作業であれば「作る」ですし、思いついたものを形にする「造る」や、何もないところからデザインする「創る」も。

一時期はこの「つくる」という言葉にすごく重きを置いて、こだわってた時期がありました。

前にブログを書いていたころです。

透明樹脂(いわゆるレジン)のハンドメイド作家をしていた時の、制作日記ブログのころですね。

当時「作る」という言葉が本当に許せなくて「クリエイターだったら『創る』だろうがっ!」と一人でモヤモヤしてました。

若かったですね(笑)そして何を人に押し付けようとしてたんでしょうか・・・当時きつく当たったクリエイターさん、ごめん・・・

ことばというもの。

まぁ、そんな感じですから対して芽も出ませんでしたし、レジンが流行に乗ってしまったことで、天邪鬼な僕はレジンから少し離れてしまいます。

あいかわらず、何かを「つくる」ことに関しては嫌いではなかったので、その対象物がレジンから他のものに移ったくらいの感じでした。

そんな中、もう誰に言われたのか忘れてしまいましたが、僕の偏ったこだわりを話していた時に

「それって意味あんの?」

と額を打ち抜く銃弾のような一言。

「いや、でもね」と言葉を発しようとする僕にその人(誰か思い出せないんだけども)は、かぶせるように言い放った言葉が衝撃でした。

『耳で聞いたらどっちも一緒やん』

・・・。

自分の中で何かが音を立てて崩れていきました。

作品を見てくれる人にも、ブログを読んでくれる人にも、応援してくれる人にも、ただの通りすがりの人にも、そんなことはどうでもいいことだったわけで。

しっかりめに創作活動から離れる。

今でこそ「あの時は若かったなー」なんて笑えますし、その時の恥ずかしいことをこうして書くことも平気です。

でも、当時は自分の芯というかアイデンティティをすべて砕かれたかのような気分になりました。

しっかりモノをつくるところから離れて数年。久しぶりにふと作りたくなって、取り組んでみたらなにか憑き物が落ちたかのようにスーッと自然体になり、クリエイターとの人間関係も良好になりました。

なかなか自分では気づかないというか、こだわりって強すぎると自分を縛って苦しめてしまうものなんだと気づかされた思い出です。

誰だったかいまだに思い出せないんだけど・・・

本日のまとめ。

・書く文字が違っても、聞こえるときは同じ。
・強すぎるこだわりは身を滅ぼす。
・ありがたい言葉をくれた人のことはきちんと覚えておこう。

九州も2日目。

今日もいろんなことがありました。

明日もいろんなことがあるでしょう。

がんばれ自分。

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